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ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編①)

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編①)

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今回からは歴史編です。
「鳴くよウグイス平安京」、「いい国つくろう鎌倉幕府」など歴史的事件を記憶するのによく使われる語呂合わせがあります。
「鳴くよ」→「794(年)」、桓武天皇が都を奈良平城京(正確には長岡京)から平安京(京都)に遷都した年。
※①「いい国」→「1192(年)」、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年(幕府は征夷大将軍が開くので、通常、鎌倉幕府を開いた年とされる)。
歴史の学習において、その出来事がいつ起こったかは確かに重要なことです。
ですから年代の暗記が歴史学習の中心になってしまうのも、しかたがないのかもしれません。しかし果たしてそれでいいのでしょうか?
私たちはなぜ、歴史を学習するのでしょうか。
社会科(中学では『社会』という教科ですが、高校では『地理・歴史』、『公民』という二つの教科になります)を大別すると、地理、歴史、公民となります。
社会科の『社会』とは、言うまでもなく『人間』社会のことです。
『地理』は自然環境のなかで人々がどういう生活を営んでいるかを空間的に把握する学問であり、『歴史』は人間社会(生活、文化なども含めて)がどう変化したか、時間を軸に見ていく学問です。『公民』は人間社会の仕組み、機構、構造を分析するための学問となります。
この三つの視座から人間社会を照射すると、その実像が浮かび上がってきます。
どの視点を欠いても正しい認識にたどり着くことはできません。
したがって、歴史が時間軸を中心に学ばれることも肯けます。
『いつ』を学ぶ勉強が中心になってしまいます。
一問一答式のクイズのような断片的学習に陥ってしまい、歴史の醍醐味を味わえないまま「歴史って、結局、知識の暗記だよなぁ」で終わってしまうのです。
入学試験に限って言えば、『センター』レベルであればその学習で十分対応できますが、以前「よなはTのひとり言」で紹介した『東大のディープな日本史』の中の論理的思考を問うてくる記述式の問題には全く歯がたたないでしょう。

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