秀学ゼミナール

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03月

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編⑤)

「落語」でもそうなのですが、名人の高座(落語家さんが演ずる場所)を聞いているとその話の情景がありありと頭の中に「映像」として立ってきます(再現されます)。
「歴史」でもその歴史的事件(事象)を物語化(映像化)することで記憶は定着するのです。ですから、「わくわく感(竹中平蔵ではありませんが)」の根源「WHY(なぜ)」を念頭に入れて歴史を眺めてみることです。
実は面白く眺めるためには、「(歴史の)興味が倍増するレンズ」が必要です。
「歴史の眺め方レンズ」=「歴史観」。
井沢元彦(『逆説の日本史〔週刊ポストに連載中〕』等の著作多数)から教えられた多くの「歴史観」があります。
「歴史は権力者(現権力者)によって都合よく作り変えられる」よって文献(当時の資料)を読む時、その資料を金科玉条のごとく信奉しないこと。
その文書を書かせた権力者の意図、背景を喝破する必要があるということ。
他にも「日本人の言霊信仰」「怨霊信仰」「穢れと差別の問題」等々。
また歴史学者に対する批判。
一例を挙げれば「日本人は無宗教なので(浅薄な先入観:マルクス的唯物史観に支配された)、歴史に宗教的要素を持ちこまない」などです。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉛

以前、「分かる」の語源は「分ける」だと書いたことがあります。
「一」を「刀」で切る。「一」が二つに離れて「分」のできあがりです。
知識、情報を分類して、整理する。
その流れの中で私たちは物事を理解します。
英語でも動詞を「一般動詞」と「be動詞」に分けますよね(なぜ分けるか知りたい人は、秀学ゼミナール能見台校へお越しください)。
自分と他人、ヒトとサル、機械と人間、部分と全体、ふたつのものに境界線を引いて区別し、対比させて世界を認識する。
二項対立させることで差異を明確にする。
そうやって世界を分かろうとします。
生命科学の世界でも同様です。
『生命は臓器に、臓器は組織に、組織は細胞に分けられる。(中略)今度はたとえばタンパク質を分けていくと、その構成単位であるアミノ酸に分解できる。アミノ酸は単なるありふれた物質だ。(「世界は分けてもわからない」福岡伸一)』
ところが分けていった単なる物質が
『ひとたび組み合わさると動き出す。代謝する。生殖して子孫を増やす。感情や意識が生まれる。思考までする。(同前掲書)』

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編④)

教科書をまとめる時も、『5W1H』を活用しましょう。
自分が人に教えることを想定して、「レポーター」になったつもりで、その事件を報道してください。
実はこの方法は、NHKEテレ(教育テレビ)の『テストの花道(受験バラエティー番組:受験生〔大受、高受〕必見、本当に役に立ちます。番組HPから「BENBU:勉強部」に入部でき、アドバイスが受けられたり、受験アイテムを入手できる。会員は10万人を突破。☞これは2013年の放送内容)』で紹介されていました。
ついでに言うと、『5W1H』に似ている『わすれな草(そう)』という記憶術の最強グッズも紹介されていました。
『わすれな草』。5弁の花びら(中心に円)に1本の茎(ただの直線)が伸びていて、根元に葉が二枚のイラストがあります。
5弁の花びらと中心の円、2枚の葉に(合計8箇所)言葉が書き込めるスペースがあります。その8箇所に、1.出来事(中心)2.だれが3.どこで4.いつ5.なにを6.結果(2~6花びら)7.きっかけ8.感情(葉)を書き込みます。
『わすれな草=花』の空欄を埋めると完成。
その事象の記憶の定着が図れます。
ちなみに、「化学」「古文」などでもこの武器は使えます。
「歴史」は「暗記」ではないと言っていますが、「記憶」することは必要です。
矛盾するようですが、こういうことです。
私たちの脳は小学校高学年くらいから(もちろん個人差はあります)無意味な暗記は苦手になります。
「円周率、百桁のテストをします」これは脳の方で拒絶反応をおこしてしまいます。
しかし、関連付けられると案外覚えられるものです。私たちの脳は「意味付け」を欲求しています。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉚

『お疲れさま』このあいさつが今回のテーマです。
こまったことがあって、生徒たち(全員ではないのですが)が帰る時にこの『お疲れさま』を使うのです。
職場であれば、このあいさつも適切なのでしょうが、教室で聞くと、『バイト(アルバイト:ドイツ語の「はたらく」という動詞由来)の終わりではないのになぁ』と違和感を抱いてしまいます。
『お疲れさま』は、たいへん良い響きをもった素敵な言葉だとは思いますが、この場合は『さようなら』がふさわしいのではないでしょうか。
とは言うものの「あいさつ」や「ことば」はTPO(time:時,place:場所,occasion:場合)の使い分けが難しいです。
「何か物を配達してくれた人に『ご苦労さま』と言うと、上から「目線」でよろしくないので『お疲れさま』と言うのが正しいのだ。」という意見をよく耳にします。
『でも何かしっくりこないよね。』とある生徒と話していたら、その生徒も同じように感じていたらしく『ありがとうございます』が良いのではと答えてくれました。
確かに、感謝の意を表するならこの「ことば」はぴったりだと感心させられました。
さっそく駅のトイレで『ありがとうございます』を使う機会があり、さわやかな時を過ごせました。

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編③)

『5W1H』の話から。これを『歴史』に当てはめてみるとこうなります。
『源頼朝(WHO)が、1192年(WHEN)、鎌倉(WHERE)に幕府(WHAT)を開いた。
全国に守護・地頭を置き(実際は、1185年、「壇ノ浦の戦い」で平氏を滅ぼし、朝廷にその権利を認めさせた。)、「侍所(1180年)」、「問注所(1184年)」、「政所(1191年)」などの行政機関を設置した(HOW)。
頼朝は「御恩」と「奉公」という土地を媒介にした主従関係を通して、「朝廷」支配の時代から「武士」の時代へと政治のパラダイム(ある時代の物の見方、考え方)をシフトさせ、封建社会の礎を築いた(WHY/RESULT)。』
よく歴史の授業で「『歴史新聞』を作ってみましょう。」というのがありますが、たいへん理に適(かな)ったことだと思います。
歴史事象をクイズにせず、包括的に、立体的に、視覚的に捉えるよい手法です。
では、『5W1H』の中でどの要素が一番重要でしょうか。
『WHEN(いつ)』でしょうか?『WHO(だれ)』でしょうか?
「いつ」は年表を見ればわかります。他のことも資料集や地図帳(歴史地図帳)などで調べることができます。
そう、一番大事なのは『WHY(なぜ)』です。なぜこういうことが起きたのか。
その結果どうなったのか。原因と結果の連鎖が歴史の流れを生み出しているのです。
流れを把握すること。歴史を視覚化し、ドラマ化し、物語化する。そうすることで興味も持てますし、自然と『歴史』が身に付いてしまいます。なので、TVの歴史番組を見たり、大河ドラマを見たりするのは歴史学習にとって有効です。NHK高校講座の「日本史」などは、その時代の専門家が映像を交えて説明してくれるので、使い方を間違わなければ、かなり高度な大学入試問題にも対処できます。
しかし、ここでも見過ごしてはならないことは常に『WHY(なぜ)』を意識すること。「歴史」に限らず、どの学習にも『WHY』の視点が欠けてしまうと、受動的(受身の学習)で、暗記中心のつまらない勉強になってしまいます。『学びて思はざれば則(すなは)ち罔(くら)し』です。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉙

3年前のことをふと、思い出しました。
ある生徒が、とても「イスラム国:Islamic State」のことを気にかけていました。
そのことにまつわる「国際関敬」のお話にお付き合いください。
「イスラム国」がしたあのような行為が許されるはずもないし、どんな理由があるにせよ人を殺していい道理もありません。
善悪で判断すれば「悪」であることは間違いありません。表層的に見ればそういうことになるのでしょう。正義など「イスラム国」にはないのです。
だから、「決して、テロには屈しない」のだとばかり、アメリカは、「IS」の勢力下に空爆の準備を進めていました。
「無知の知」ソクラテスは言いました。世界は広いのです。知らないことの方がはるかに多い!だからといって、知らないことに平然として、知ろうともしない態度はとても危険なことです。
「無知」は人を傷つけます。誤った認識のもと、なんの罪もないイスラム教徒に危害が加えられたりしていました。
「IS」出現の背景を探っていくと、アメリカのイラク進攻に思いが至ります。
国際関係は国と国との利害のぶつかり合いです。理想の大義で覆われたベールの下には、自己の利益しか追及しない「どす黒い本音」が露わになってきます。
世界地図を眺めれば一目瞭然、中東やアフリカ諸国の国境線のなんと不自然なことか!
直線で引かれた国境線を「人為的国境線」と呼びますが、エゴむき出しの線がそこには見えます。20世紀初頭の英仏の主導権争い。さらに遡れば、十字軍のレコンキスタ。いつしか世界は欧米型の価値観一色になっています。
危険はむしろ、そちらにあるのかもしれません?

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編②)

過去の事件、事象をデータ(情報)として処理し、アーカイブ(記録として保管)することが歴史の学習ではありません。
『温故知新(ふるきをたずねて新しきを知る)』。
今現在抱えている諸問題をどう解決していくか、過去の知恵から学ぶのです。
どういう未来にしたいか、改善の糸口を歴史から模索するのです。
とは言っても、正しい歴史認識がないと、『歴史』が問題解決の武器にはなりません。

それでは、正しい歴史認識とは何でしょう?
まず、ある歴史事象を見る場合、その時代の人々の常識、感性でその事象を捉えられるかということ。
現代の科学水準、常識、思想をものさしとして歴史を見ないことが重要です。
電気もない、ケイタイもない、電車や自動車もないそんな環境を想像してみてください。
自分をその時代にタイムスリップさせてください。
私たちは、歴史の結果をすでに知っているので、評論家のように「あんな戦争はおろかなことだったのだ」などと神のごとく高所から断ずるのです。

次に、新聞記者の心得を活用することです。
『5W1H』です。
『5W』とは、「WHO(だれ)」「WHEN(いつ)」「WHERE(どこ)」「WHAT(なに)」「WHY(なぜ)」、
『1H』とは、「HOW(どのように)」です。
新人の新聞記者は記事を書くために、この六つの要素を記事に織り込むように教えられます。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉘

今回は「ハレとケ」の話。
「ハレとケ」とは「柳田國男(民俗学者)によって見出された、時間論をともなう日本人の伝統的な世界観のひとつ」とウィキペディアに書かれています。
「ハレ」を漢字にすると「晴れ、霽れ」、「ケ」を漢字にすると「褻」となります。
「ハレ」は儀礼や祭などの年中行事。つまり非日常的な祝祭空間や時間のことです。
婚礼の日に「晴れ着」を着るとか、「晴の舞台」と今でも言ったりしますね。
それに対して「ケ」は平々凡々とした日常を表すことばでした。
「ハレ」の語源は「晴れ」だそうです。「晴れていて気持ちがいい」などと天気のことに今では使いますが、江戸時代までは、長雨が続いた後に天気が回復した特別な節目を「晴れ」と記したそうです。うっとうしい日々が続いて気持ちが滅入っているときに、ぱぁーと晴れあがった。
そんな爽快感、開放感のあることばだったようです。
当時は農業を生業(なりわい)にしている人がほとんどでした。
天気に左右される農作業はとても辛かったと想像されます。そういう日常を「ケ」と考えました。収穫が終わり農閑期に、待ちに待った「祭」がありました。
みんなその日を楽しみに待っていました。お酒をたくさん飲んで酔っ払ってバカ騒ぎしたり、鎮守の森で男女が自由に交合ったり、特別にそんなことも許される空間と時間でした。
そうやってつらい労働:「ケ」を祝祭:「ハレ」が開放し救ってくれたのです。
鹿児島の方言で「だれやめ」というのがあります。仕事が終わり家に着く前に酒場で一杯ひっかけて、今日の気分を〆(しめ)てリセットする。呑兵衛(のんべえ)が飲むよい口実にも聞こえますが、言いえて妙だと思います。
かくのごとく、現代は都市化し「ケ:仕事」と「ハレ:祝祭空間」が一日に訪れる、目まぐるしい時代になりました。
そういうオアシスを手に入れて、なんとか、このストレスを乗り切っていっているのかもしれません。

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(歴史編①)

今回からは歴史編です。
「鳴くよウグイス平安京」、「いい国つくろう鎌倉幕府」など歴史的事件を記憶するのによく使われる語呂合わせがあります。
「鳴くよ」→「794(年)」、桓武天皇が都を奈良平城京(正確には長岡京)から平安京(京都)に遷都した年。
※①「いい国」→「1192(年)」、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた年(幕府は征夷大将軍が開くので、通常、鎌倉幕府を開いた年とされる)。
歴史の学習において、その出来事がいつ起こったかは確かに重要なことです。
ですから年代の暗記が歴史学習の中心になってしまうのも、しかたがないのかもしれません。しかし果たしてそれでいいのでしょうか?
私たちはなぜ、歴史を学習するのでしょうか。
社会科(中学では『社会』という教科ですが、高校では『地理・歴史』、『公民』という二つの教科になります)を大別すると、地理、歴史、公民となります。
社会科の『社会』とは、言うまでもなく『人間』社会のことです。
『地理』は自然環境のなかで人々がどういう生活を営んでいるかを空間的に把握する学問であり、『歴史』は人間社会(生活、文化なども含めて)がどう変化したか、時間を軸に見ていく学問です。『公民』は人間社会の仕組み、機構、構造を分析するための学問となります。
この三つの視座から人間社会を照射すると、その実像が浮かび上がってきます。
どの視点を欠いても正しい認識にたどり着くことはできません。
したがって、歴史が時間軸を中心に学ばれることも肯けます。
『いつ』を学ぶ勉強が中心になってしまいます。
一問一答式のクイズのような断片的学習に陥ってしまい、歴史の醍醐味を味わえないまま「歴史って、結局、知識の暗記だよなぁ」で終わってしまうのです。
入学試験に限って言えば、『センター』レベルであればその学習で十分対応できますが、以前「よなはTのひとり言」で紹介した『東大のディープな日本史』の中の論理的思考を問うてくる記述式の問題には全く歯がたたないでしょう。