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01月

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉓

国語力アップの「3つの力」のうち「言いかえる力」の説明から始めましょう。
福嶋隆史は『論理的思考力とは、決して「難しく考えること」ではない』と言い切ります。
『難しいことがらを「単純化すること」だ』と。
その根幹が「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」。
なかでも「言いかえる力」は中心的な役割を果たします。
「バラバラの考えや言葉を整理するための力」が「論理的思考力」だとすれば、なぜ整理が必要なのか。
それは、だれかに伝えるためです。だれかが自分であることも含めて、情報に対して人は納得を要求します。
その伝達方法は次の3つに集約されます。
①まとめて伝える/分けて伝える②くらべながら伝える③順序よく伝える。
この①が「言いかえる力」になります。国語の入試問題にも「作者の考えを述べよ」→「まとめる力」や「具体的に述べよ」→「分ける力」を問う設問をよく目にします。
ズバリ「言いかえる力」を試しています。
「まとめる力」は「抽象化」、「分ける力」は「具体化」と同義です。
「抽象化」や「具体化」するカギとなるのが「つまり」と「たとえば」という接続詞です。
例をあげます。
「抽象化」:「みかん・ぶどう・バナナ」つまり「果物」。
「具体化」:「果物」たとえば「みかん・ぶどう・バナナ」という具合です。
「抽象」と「具体」は相互往復の関係でできています。だいたいの文章は「抽象」と「具体」の間を往復、漂いながら書かれています。
つまり、『すべての文章は、「言いかえ」の連続で作られているのです』。「抽象化」は連綿と続きます。「みかん・ぶどう・バナナ」つまり「果物」、「果物」つまり「植物」、「植物」つまり「生物」、「生物」つまり……。

ウソシリーズ 「英語は単語を多く覚えれば大丈夫!」のウソ(英語編⑩)

“You are old enough to travel by yourself.”
「あなたは一人で旅行ができるくらいの年齢だ。(あなたは一人で旅をすることができるくらい十分に年をとっている。)」となります。

「不定詞(“infinitive”)」にはあと一つ「形容詞的用法」があります。
①“I have a book to give you.”「あなたにさし上げる本があります。」
②“He is looking for an American to teach him English.”「彼は自分に英語を教えてくれるアメリカ人を探しています。」
③“She had a lot of things to do.”「彼女にはすべきことがたくさんあった。(彼女にはたくさんのするべきことがあった。)」
いずれも「こと」と訳していないので「名詞的用法」でないのは一目瞭然です。
「形容詞」は「名詞」を修飾(説明)します。
「副詞」が唯一、修飾できない「名詞」を「形容詞」は修飾できるのです。
順に見ていきましょう。
①は“to give you(あなたにさしあげる)”が直前の「名詞」“book”を修飾しています。
②“to teach him English(自分[彼]に英語を教えてくれる)”が“American”を
③“to do(すべき)”は“things”をそれぞれ修飾していることが分かります。
英語は「名詞」を2語以上の意味の塊=句(“phrase”)で修飾する時、その語句を「名詞」の後ろにおいて説明します。
これを「後置修飾」と言って日本語では絶対に起こらないことです。
これも英語と日本語の差異のひとつです。
「不定詞」が「名詞」を修飾する時『~するための→「名詞」』『~すべき→「名詞」』と訳すことが多いです。
また「後置修飾」ですが、前にある「名詞(先行詞)」を「文(節:「動詞」が必ずある)」が修飾しているものを「関係代名詞」と呼び、「節」が「名詞」を修飾するので「形容詞節」と言います。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉒

今回は文章読解について。
広い意味で読書も文章を読解することにほかなりません。
他者を理解することが至難であるならば、その他者が書いた文章を正しく理解することもまた至難といっていいでしょう。
しかしながら、忙しい現代社会にあっては、膨大な情報の海から大量の文章を読み、理解することを強いられます。
普段から活字に慣れ親しんだ人は別として、そういう習慣がない人にとっては、そのことは相当のストレスになります。
本来、読書(文章から何か情報を得ることも含む)は新しい「知」に出会う行為ですから、新鮮なわくわく感をともなうはずです。
それが苦痛な行為となることは不幸であると言わざるをえません。
時間に余裕がないことに加え、すぐに答えにたどり着こうとあせるあまり、読んだ内容に耳を傾けもせず、自分の持っていた先入観でその中身を判断してしまう。
正しい理解(読解)をすることなしに、時間だけが駆け抜けていく。
本当の国語力は正しい読解力と同義です。
「国語力=論理的思考力」を身につけるためにとても役に立つ本があります。
『「本当の国語力」が驚くほど伸びる本』国語塾を主宰している福嶋隆史さんの本です。
この本には「3つの力」が備われば国語力が飛躍的にアップすると書かれています。
「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」。まず、「言いかえる力」から。この力は3つの力のなかでも中心的な役割を果たします。
「言いかえる力」は抽象化力と具体化力の2つからできています。
キーワードは「つまり」と「たとえば」です。

ウソシリーズ 「英語は単語を多く覚えれば大丈夫!」のウソ(英語編⑨)

“He is very happy to see her.(彼は彼女に会えてとてもうれしい。)”
“to see her(彼女に会えて)”は“happy(うれしい:形容詞)”を修飾しています。
「不定詞」が「形容詞」を修飾(説明)する②のパターンです。
今挙げた例は、「不定詞」の部分が後ろから前を修飾(説明)しています。
「訳し上げる」といいます。
この逆、「訳し下げる」場合もあります。
“He grew up to be a singer.(彼は大きくなって歌手になった。)”
「副詞的用法」はどの文も「不定詞」の前で切っても、意味が分かる文になっています。
「名詞的用法」ではこうはなりません。「副詞的用法」を見分ける一助としてください。
“You are old enough to travel by yourself.”この文はどう訳したらよいでしょうか。“enough”がこの文を難しくしています。
“enough”は「形容詞(十分な)“enough food for a picnic(ピクニックのための十分な食糧)”」「名詞(十分な量、数)“He had enough to do.(彼には仕事がずいぶんあった。/彼にはするべき(不定詞の形容詞的用法/後述)たくさんのことがあった。)”」
「副詞(十分に)“He was kind enough to help me.(彼は親切にも私を助けてくれた。/訳し下げるパターン)”
“I was old enough to vote.(私は投票できる年齢だった。/訳し上げるパターン)”」に分けられます。“enough”を副詞として使う場合は修飾する「動詞」「形容詞」「副詞」の後に置くことも覚えておきましょう。
“You are old enough to travel by yourself.”の訳は次回で!

教育ブログ 「よなはTのひとり言」㉑

前回のネズミのはなしの意外性とはこういうことです。
重窒素で標識されたえさとしてのアミノ酸は体内で呼吸、すなわち酸素と化合してエネルギーに変換され、分解されて体外に排出される。
しかし、実験結果は、排出された重窒素系アミノ酸は与えたえさの30%にすぎなかった。
つまり、残りのアミノ酸は臓器などを構成するタンパク質などとなって体内にとどまった。
この結果の違和感はデカルトに由来します。
17世紀前半に活躍したフランスの哲学者、数学者の彼は、演繹的な方法で「生命現象はすべて機械論的に説明可能(『動的平衡』福岡伸一)」だと考えました。
人体でいえば「心臓はポンプ、血管はチューブ、筋肉と関節はベルトと滑車、肺はふいご(同前掲書)」という具合に。西洋医学にこの思想がとってみえます。
機能が低下した臓器は交換すればよい。移植手術です。
故障した機械部品(パーツ)は新しいものと交換すればよいのです。
これに対し漢方に代表される東洋医学は気の流れ(経絡)など内分泌系や血流を整え、自然治癒力を高めることで病を治そうとします。
部分と全体。生命観の差異が見てとれます。
つい見過ごしがちですが、人体についてよく考えてみると、37兆個(近年までは60兆個が定説だった)の体内細胞は絶えず分裂を続け生成と消滅を繰り返しています。
ネズミの実験結果からも分かる通り、今食べた食物がどこかの細胞を構成している分子に納まっているのです。
流れを断ち切ることなく、その機能は失われないのです。
自動車のエンジンが故障したとします。レッカー車で工場に運ばれ部品交換等で修理されます(外科的手術)。
われわれ生物は走りながら、言いかえれば機能を保持したまま内部の部品を更新し、環境に適応しているのです。
このことも生命現象が『動的平衡』の流れの中にあるということです。

ウソシリーズ 「英語は単語を多く覚えれば大丈夫!」のウソ(英語編⑧)

“Tom went to the park to play tennis.”「トムはテニスをするために公園へ行った。」
“to play tennis”が「不定詞」です。
この不定詞「“to play tennis”(テニスをするために:修飾語)」が「“went”(行った:動詞)」を修飾(説明)しています。
「~こと」と訳していませんね。だから「名詞的用法」ではありません。
「副詞的用法」といいます。
英語において「副詞:adverb」は①「動詞」②「形容詞」③「副詞」④「文全体」を修飾します。
例えば①“He can swim well.(彼は上手に泳げます。)”
“well(うまく、上手に:副詞)”は“swim(泳ぐ:動詞)”を修飾しています。
②“This house is very old.(この家はとても古い。)”“very(とても、非常に:副詞)”は“old(古い:形容詞;様子をあらわすことば、日本語では~いで終わる。日本語の形容動詞は英語では形容詞)を修飾しています。
③“Thank you very much.(どうもありがとうございます。)”“very”は“much(たくさん:副詞)”を修飾しています。
④“He was mistaken,however.(しかしながら、彼は間違っていた。)”
“however(しかしながら:副詞;接続詞的に使われている)”が文全体を修飾しています。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑳

福岡は二十世紀の「生命」の定義に何か違和感を覚えます。
何かが欠けていると考えます。
直観として感じる「生命の律動」。これを突破口として「生命」を捉え直そうと決心します。
そして、あるキーワードにたどり着きます。「動的平衡(どうてきへいこう)=dynamic equilibrium(ダイナミック・イクイリブリアム)」
福岡は「生命」の定義をこう再定義しました。
『生命とは動的平衡にある流れである』と。
ルドルフ・シェーンハイマ―が重窒素を使ってマウスに実験をしました。
重窒素で標識されたアミノ酸を三日間成熟したネズミ(体重の増減が少ない)に与えたのです。シェーンハイマ―はこう考えました。その餌はエネルギー源となって体内で燃やされ排出されてしまうだろう。
排出された尿や糞を調べると、重窒素系アミノ酸は30%弱。残りは体内に留まっていました。56.5%が体内のタンパク質(アミノ酸から作られる)の中に取り込まれていたのです。
しかもあらゆる部分に。
実験中、ネズミの体重に変化はありませんでした。
予想外の結果から「新たに作り出されたタンパク質と同じ量のタンパク質がアミノ酸に速やかに分解され体外に捨てられた」と結論せざるをえませんでした。

ウソシリーズ 「英語は単語を多く覚えれば大丈夫!」のウソ(英語編⑦)

“I like to play tennis.”は「私はテニスをするのが好きです。」となります。
“to play tennis”が「目的語:O」です。
「~するのが」と訳しているじゃないの?でも、大丈夫。「~することを好む」とできるのでOKです。
「to +動詞の原形」を「不定詞:infinitive(toのない不定詞もあるので注意が必要ですが)」と言います。
「不定詞」はこのように「目的語」になることができます。英語編①でこの文の「動詞」は“like”で“play”ではないと言ったのはそのためです。
「不定詞」は「動詞」ではありません。「準動詞」というグループです。
「不定詞」のほかに「動名詞:~ing」「現在分詞:~ing(動名詞と形は同じ)」「過去分詞:past participle」「分詞構文」をこう呼びます。
“My hobby is to play tennis.”この文にも「不定詞」が使われています。
“to play tennis”の部分です。ではこれは「目的語」でしょうか?答えは“No”です。
こんな訳になります。「私の趣味は、テニスをすることです。」
「~を」と言っていませんから「目的語」ではありません。
「私の趣味」=「テニスをすること」ですから「補語」です。何かとイコールは「補語」です。
“To tell lies is wrong. ”“to tell lies”の部分が不定詞です。
「うそをつくことは悪いことである。」となります。
「うそをつくことは」が主語になっています。
このように「不定詞」は「目的語」「補語」「主語」になれます。
「歩く」という動詞に「~こと」を付けると「歩くこと」となって名詞になります。
「目的語」「補語」「主語」になる「不定詞」はそれぞれ「~ことを」「~こと」「~ことは(が)」と訳されて名詞化します。
このような使い方を「不定詞の名詞的用法」といいます。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑲

前回の続き「生命」とは?
二十世紀の生命科学が到達したひとつの答えは「生命とは、自己複製を行うシステムである。」というものでした。
ここに電子顕微鏡の発明(1930年代以降)によって「ウイルス」が発見されます。
細菌感染する病気は知られていましたが、狂犬病や黄熱病の原因がわからなかった。
微小な感染粒子の存在を予想はさせたものの、それは、あまりにも小さすぎて光学顕微鏡の限界をはるかに超えていました。
大腸菌をラグビーボールとするとウイルス(種類によりますが)はピンポン玉かパチンコ玉の大きさだからです。
「ウイルス」はインフルエンザの原因ともなり感染します。
感染するということは、「自己複製を行うシステム」という二十世紀の生命科学が到達した「生命」の定義と合致します。
「ウイルス」は栄養を摂取しません。呼吸もしません。したがって二酸化炭素や老廃物を排出しません。一切の代謝を行わないのです。
細胞の表面に取りつくとそこから細胞の内部に自己複製の設計図を注入します。
核酸=DNA,RNAです。
なにも知らない細胞はエイリアンである「ウイルス」のコピーを大量に作り出すのです。
「ウイルス」は特殊な条件で濃縮すると結晶化します。
「生命」というより鉱物に似た「物質」のようです。
しかし自己複製する!「ウイルス」は「生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである」。
二十世紀の「生命」の定義に福岡は釈然としません。