秀学ゼミナール

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11月

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑭

前回の話の続きから。『混沌』はなぜ死んでしまったのでしょう。
「教えてください。」とも書きました。
人間にある七つの穴「七竅:しちきょう」を『儵(シュク)』と『忽(コツ)』が、1日に一つずつあけていったところ、七日目に『混沌』は死んでしまうのです。
『混沌』に何がおこったのでしょう。『儵』と『忽』は、七竅を通して、『視聴食息』が行われるのでこれを最も重大なものと考えました。生きるためにはなくてはならない必要十分条件。

しかし、超自然である『混沌』は超次元にいる真の生命の象徴なのです。人間の常識、社会通念をはるかに凌駕したところに自然は存在し、真の生命は人知のおよばない領域にあるのです。
『混沌』を辞書で引くと
「①天地創造の神話で、天と地がまだ分かれず、まじり合っている状態。カオス。②入りまじって区別がつかないさま。変動が激しくて予測がつかないさま。(大辞林)」とあります。
『儵』と『忽』はともに「きわめて短い時間」という比喩です。答えを急ぎすぎる人間への警鐘なのでしょうか、あるいは、自然に対して畏敬の念を忘れてしまった人間の傲慢さを喝破しているのでしょうか。

近代人は、「科学技術が万能である」という宗教を信仰し、自然は意のままになると思い込み、不測の事態に直面した時でさえその考えを捨てないのです。墜落しない航空機があるでしょうか。
原子力発電は絶対安全なのでしょうか。
己の浅薄さに気づかず、立ち止まって「沈思黙考」することをせず、世論という世迷言の空気や、近視眼的に「数値」という怪物にふりまわされ、いったい我々人類はどこへ行ってしまうのでしょう。
話が大きくなりすぎました。宇宙が『混沌』であることを自覚できたならば、悠久の時間と無限の空間に漂う我々はもっと「謙虚」になれるのではないでしょうか。

ウソシリーズ 「英語は単語を多く覚えれば大丈夫!」のウソ(英語編①)

「“I love you.”この英文で一番重要な単語はなんでしょう?」
と生徒に質問してみました。
「loveです。」
という答えが返ってきました。
「ではなぜ?」
とさらに続けると、
「だって、loveと言わなかったら意味がわからないです!」。

この返答に重大なカギが含まれています。
[love(これは一般動詞)]の品詞(単語をその役割『機能』で分類した名称)は動詞(動作や状態を表すことば)です。
「英語は動詞を理解できれば90パーセント制覇したことになる」とよく言われますが肯(うなず)ける話です。
意志伝達がコミュニケーションの要諦ならばまさに動詞こそ単語の「王様」です。

では、次の英文はどうでしょう?“She is happy.”(彼女は幸せです)
動詞は[is]。Be動詞です。
でも[is]を取って“She happy.”と言っても相手には、きっと通じるでしょう。
「なぁーんだ、動詞がなくっても大丈夫じゃない。」そんな声がきこえてきそうです。
この場合はどうでしょう。
「彼女は幸せでした。」“She was happy.”
お気づきですか?そう動詞は意味だけではなく、時間も支配しているのです。
「王様」といわれるゆえんです。
絶対権力者の「王」は文中にただ1つだけ君臨しています。

「“I like to play tennis.”(私はテニスをするのが好きです)この文の動詞は?」
とまた質問してみました。
「likeです。」「play(球技をする)だよ。」
二つの答えが返ってきました。正解は[like]ですが、なぜでしょう?
それは英語の構造と日本語の構造の違い『差異』を理解しなくてはいけません。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑬

今回は漢文のお話。
「南海を治めていた王を『儵(シュク)』と言い、北海を統(す)べていた王を『忽(コツ)』、中央の帝は『混沌(コントン)』と言った。
ある時、『混沌』の地で『儵』と『忽』が出遭った。『混沌』は二人の王を手厚くもてなした。
『儵』と『忽』は甚だ感激し、この徳に報いようと相談して、こう告げた。
「人間は七つの穴(七竅:しちきょう)があり、それで見たり聞いたり、食べたり呼吸したりしている。それなのに『混沌』よ、そなたにはその穴が一つもない。だからお礼として、試しに穴をあけてあげよう。」
二人の王が一日に一つづつ穴をあけてゆくと、七日目に『混沌』は死んでしまった。」
道家の『荘子』からの出典です。中国の思想は、孔子、孟子、荀子に代表される「儒家」の思想と老子、荘子に代表される「道家」の思想に大別されます。荘子の比喩は巧みで、このたとえ話も示唆にとみます。
「道家」の思想は「老荘思想」ともいい「儒家が風俗習慣の中に立って社会秩序の維持をはかろうとするのに対して(引用:漢文研究法)道家の思想は、宇宙の根本原理に立って、社会や国家の束縛を離れた素朴で自然な姿に、人間の本来のあり方をもとめた(引用:倫理『東京書籍』教科書)。」と説いています。
執着心を捨て去る「柔弱謙下(じゅうじゃくけんげ)」、自然にしたがって、作為をろうせず生きる「無為自然(むいしぜん)」、ありのままの世界は、本来、万物が平等で斉(ひと)しい「万物斉同(ばんぶつせいどう)」、虚心になって天地自然と一体となる境地に遊ぶ「逍遥遊(しょうようゆう)」(引用:前出「倫理」)など「老荘思想」を語るうえにおいてはいろいろな言葉があります。『儵(青黒い色)』『忽(おろそかにする)』ともに「きわめて短い時間」という意味だそうです。でもなぜ『混沌』は死んでしまったんでしょう。“Tell me ,please.”

ウソシリーズ 「漢字は多く書けば覚える!」のウソ(漢字編⑧)

「こざとへん」は何を意味するのでしょう?
漢和辞典の多くには次のような説明がされています。
『こざとへん。「阜」が偏になるときの形。丘や丘状に盛り土したもの、丘に関連する地形やその形状を表す文字ができている(『漢語林』大修館書店)。』
『「こざとへん」を反時計回りに90度傾けてみてください。
ぷくぷくと小山がふたつできますね。』というはなしを耳にしたこともあります。
「陸」「陵」「隆」などの字を眺めると確かに大地が盛り上がった感じがしてきます。

しかし、「阜」の甲骨文字や小篆(秦の始皇帝の時代の漢字)をみると段のついた梯子に見えます。
漢字の巨星、白川静はこの「こざとへん」を神が天上と地上を行き来する階段だと喝破しました。
天と地を昇降する梯子、階段。「階=きざはし」であると。

おそらく許慎の「説文解字」を鵜呑みにして編集された結果がこうした誤りを生んだのでしょう。白川説はまだ定説ではありませんが。

漢字の話はまだまだ尽きませんが、漢字には意味があるということです。
字それ自体に物語があるのです。

「あ(ひらがな)」をいくら眺めていても「あ」と発音するのだという情報以外のことは見えてきません。
「ア(カタカナ)」や「A(アルファベット)」もそうです。これらの文字は発音の記号と化してしまっています。
「表音文字」と言います。

これに対して漢字や古代エジプトの象形文字(ヒエログリフ)は「表意文字」と言います。
つまり漢字は表情があり、たった一字に大容量の情報が詰まった缶詰と言っても過言ではありません。

表音文字も初めは絵文字から出発して、徐々に表音文字になっていったのでしょう。
「A」という字は牛の頭を表していたと聞いたことがあります。
「A」を180度回転させて、上下逆さにしてみてください。角のある牛の頭が現れてきます。

日本語は表音文字である「ひらがな」や「カタカナ」と表意文字である「漢字」を使って表記されます。
そのことの意味をいま一度考えてみるのもおもしろいかもしれません。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑫

古新聞(朝日新聞夕刊「英語をたどって」)から気になった話題をひとつ。
宇都宮高校(栃木県有数の進学校)の英語部の話。
彼らは国内の英語によるディベイト(与えられた論題について賛成・反対に分かれ、ルールにのっとり討論するゲーム。「知的格闘技」「言葉のボクシング」といわれる。)国内大会に優勝し、国際大会に出場します。

八カ国と戦って1勝7敗の成績。結果だけをみると惨敗です。しかし過去の大会から通算しても4勝(宇高の勝ちも入れて。52敗)しかしていないので、この1勝は大金星です。対戦相手はいずれも英語を母国語としていない国(タイ、トルコ、レバノン、アラブ首長国連邦など)です。

彼らは「透明な壁にぶつかった」と感じました。相手はスピードや語彙力は段違い、嵐のように主張が飛んでくる。ずらっと論拠を並べ、こちらの出した論拠を次々と破る。
「世界」との差はいったい何なのか?「英語力」か「議論力」か?
参加した生徒が次のような感想をもらしました。『外国の高校生たちは議論するのが当然、という感じだった。でも僕らは日本でふだん、議論する必要がない。へたに議論しようとしたら、煙たがられてしまう』。

どうやらこの辺に答えが隠されていそうです。生徒によくいうことがあります。『日本語で自分の意見や考えを言えないのに、英語が話せるわけがないじゃない』。
グローバル化。『世界の人たちとコミュニケーションをとらなければいけない』強迫観念のように世間では叫ばれています。でも英語ができなくても、たとえば外国人のまえで「折鶴」を折ってみるだけでも、日本の文化を伝えることは十分可能ですし、それがきっかけでコミュニケーションは自然と生まれてくると思うのですが。

ウソシリーズ 「漢字は多く書けば覚える!」のウソ(漢字編⑦)

「祭」の字にも「又」がみえます。
「祭」は会意文字で、三つの漢字の部品からできています。
「又」+「月(上部左)」+「示」です。

「月」は「肉」のことで「月」の横棒二本は肉の筋です。
お月様の「月」の字は本来、この横棒が右の縦棒に付いていない字でした。
「腸」「肝」「臓」「肺」…いわゆる「肉月(にくづき)」が何でお月様と関係があるのだろうと小学生の頃から悩んできましたが、これで疑問もスッキリです。
「舟」に関する「舟月」も今では統一されて「月」を使います。

「示」は神へのお供え物をのせるテーブルの形です。中国風三本脚テーブル。「ネ」しめすへんの「示(しめ・す)」です。

「又」+「月」+「示」=「祭」。神への捧げものをのせるテーブルの上に右手で肉(赤犬の肉を開いたもの、精力がつき神が好んだとされる)を供える。

これが祭です。
神への感謝をいけにえとして捧げました。
そういう儀式がとりおこなえるのは権力者です。政治をする、つまり「祭り事=政(まつりごと)」です。

しめすへん「ネ」は、昔は「示」を使いました。だから「示す偏(しめすへん)」です。
「神」「社」「祈」「祀」「祝」など神と関連した漢字なのです。

この「祭」を音符(形声文字で音を担当する部分)にして「こざとへん」を意符(形声文字で意味を担当する部分)としてできた漢字が「際」です。
音読みは「サイ」、訓読みは?
「きわ」です。「やうやう白くなり行く山ぎは(枕草子)」のきわ。「はて」「さかい」の意味を表します。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑪

『たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、あなたはリンゴの木を植える』

教育ブログ「よなはTのひとり言」第1回に載せた箴言(しんげん)です。
作家、開高健(かいこうたけし/けん:故人)が色紙などによく書いていました。

芥川賞作家でありながら、ルポルタージュや、エッセイと活躍は幅広く、
朝日新聞の記者として、ベトナム戦争を取材した経歴もあります。
無類の釣り好きで、南北アメリカ大陸を縦断する形での釣り紀行「オーパ」は
秀逸な作品です。

寿屋(現サントリー)で広告の仕事、コピーライターをしていたこともあり、
ことばに対する感覚は鋭敏で、文章は重厚かつ生のエネルギーに満ちています。

私は、冒頭のことばが書かれている色紙に偶然出会ったことがあります。
奥只見に紅葉を見ようと立ち寄った釣り宿にその色紙は飾ってありました。
あのくせのある字体、まさしく開高健のものでした。

実は、この箴言にはオリジナルがあります。
『たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、わたしはリンゴの木を植える』
宗教改革で有名な神学者ルターのことば(諸説あり)です。

「もし明日世界が滅びるとしたらどうしますか」と聞かれたルターは
「今日、わたしはリンゴの木を植える」と答えたそうです。

何が起こっても、いたずらに慌てず、騒がず、ただ粛々と今日、自分にできることを行うということでしょうか。

開高はそれを受けて、
「諸君、何があっても、自暴自棄にならず、希望を持ち続け、心静かに暮らすのですぞ」とエールを送ってくれたのかもしれません。

ウソシリーズ 「漢字は多く書けば覚える!」のウソ(漢字編⑥)

漢字の聖典であった「説文解字」が甲骨文字の発見によって多くの間違いが指摘されましたと書きましたが、その急先峰こそが白川静なのです。

この甲骨文字、金文を徹底的に読み込んで、漢字学の金字塔を打ち立てた巨人。
『漢字編③』でも少し紹介しました。
聞くところによると、金文や甲骨文字を二万回もトレースしたとか。
原典(ルーツ)にあたることで、見えてくる真実があったのでしょう。
『葦編三絶(いへんさんぜつ:孔子が晩年「易経(えききょう)」を好んで読み、綴じた革ひもが何度も切れたという故事:大辞林)』
『眼光紙背に徹する(書を読んで、文面の奥にある深い意味まで見抜く:大辞林)』
『読書百遍義自ずから通ず』を実践した碩学です。

その白川先生が指摘した最たるものが「口」についてです。
「口」は顔の口をかたどった象形文字ではないのです。
神への祝いの言葉である祝詞(のりと)を入れる器の形なのです。
この器を「サイ」といって、このことを明らかにしたことが、白川漢字学最大の発見と言われています。
「サイ」を右手に持って神様に祈ったので、「右」は「みぎ」という意味になりました。「右」の字から「口」をとった「ナ」は「手」を表しています。ちなみに「又」も「手」のことです。