秀学ゼミナール

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09月

教育ブログ 「漢字は多く書けば覚える!」のウソ(漢字編②)

漢字が輸入されるまで、日本には文字が存在しなかったのです。ですから卑弥呼の時代の歴史を古代中国の「『魏志』倭人伝」に頼る他ないのです。

漢字の伝来とともに当時の最先端の文化、文明も伝わってきました。
中華文明に追いつけ追い越せと日本人のエリートたちは、切磋琢磨して漢籍を学びました。
「律令」も漢文で書かれています。
為政者たる貴族は漢文(外国語)を理解していることは常識だったのです。

時代が変わっても学問と言えば漢籍を読むことでした。
18世紀後半に入り欧米の外国船が日本をしばしば訪れるようになってから、初めて西洋の文化、文明を意識するようになります。

「漢字」の恩恵と言いましたが、実は「西洋的近代化(西洋的近代化が素晴らしいと言っているわけではありませんよ。念のため。)」を日本はアジアでいち早く成し遂げました。このことと「漢字」が密接に関連しているという話を聞いたことがあります。

例えば「economy」という英語が入ってきたとします。「エコノミー」と発音することは分かっても、その意味するところは?
幕末の碩学(せきがく)たちは中国の古典の「経世済民(けいせいさいみん:世を治め、民の苦しみを救うこと。『大辞林』」から「経済(この訳語は本家の中国に逆輸入されて、定着しているようです)」という訳語を作りました。
「philosophy」は「哲学」と適切な訳語を生み出しました(「西周:明治時代の思想家、津和野藩医の子」あたりか?)。
つまり漢籍の素養があった日本人は新しい西洋の概念をみごとに熟語として日本語化しました。

どういうことかというと、新しい思想、技術を日本語で理解できたのです。
漢字を捨てハングルに固執した朝鮮半島では外国語を外国語として学ばざるを得なかったのです。
フィリピンでも英語を英語として学ばなければ西洋的近代文明を受容することができなかったのです。
一部のエリートたちからしか西洋文明が始まらない国と違って、日本では日本語で西洋文明を受け入れることができました。

こういう美点に見向きもせず、「グローバル化」という妖言(ようげん:人を迷わす、あやしい言葉『大辞林』)、譫妄(せんもう:軽度ないし中度の意識混濁『大辞林』)に踊らされて、どこかの役所?は大学での授業を「英語」でやりましょうと躍起になっています。これは戦後、日本語を「ローマ字」表記に改めましょうというのと同じくらいに馬鹿げたことだと思うのですがみなさんはどうお考えでしょうか?

 

教育ブログ 「よなはTのひとり言」⑤

唐突ですが、「夢」と「目標」はどう違うのでしょうか?
「夢」といってもこの場合、寝て見る「夢」ではないですよ。もちろん実現を目指す「夢」です。「アメリカンドリーム」

では、あらためて「夢」と「目標」の違いについて。
『「目標」には期限が切られている』ということ。
確かに試験範囲の漢字を試験が終わってから覚えても意味がありませんね。
もちろん試験で良い点を取ることが、人生の目標であるはずもないでしょうが。

人生の目標を『長期的目標』とするなら、それにたどり着くための道標(道しるべ)としての『中期的目標』
さらにそこに到達するための『短期的目標』というように「目標」にも段階があります。

でも「自分はこうなりたいな、ああなったらどんなに素晴らしいだろうな」といろいろ目標を変えながら漠然と生きていく人の方が圧倒的だとは思います。

 

教育ブログ 「漢字は多く書けば覚える!」のウソ(漢字編①)

今回からは新シリーズ、漢字の話です。
漢検協会の肩を持つわけではありませんが、生徒達には「漢検」受検を勧めています。
どうしてか?言葉の世界を広げてほしいからです。

「自学力」を培うことを指導方針に掲げていますが、それは物事を自ら「考え」人生を切り拓いて行って欲しいからです。
私たちは普段、「ことば」を使って「考え」ます。
音楽家は「音符」、数学者は「数式」で「考える」かもしれませんが、たいていの人は「ことば」を使って「考え」ます。

逆円錐の話(私が生徒にするたとえ話の一つ〈別のブログで書きます〉)。知れば知るほど世界は広がり、ついには逆円錐の底面を飛び越えて無限、無窮の広がりに至る。そこに自由がある。自由の翼を手に入れ、自由自在に飛翔できると。
つまり「ことば」の世界を広げることはよりよく「考える」ことができるということなのです。自由に生きるために「ことば」を学ぶのです。
幼児がすぐにケンカをするのは、自分の感情を他人にうまく伝えられないからです。語彙(ボキャブラリー)が乏しいのです。
『井の中の蛙(かわず)大海を知らず』ということでしょうか。「ことば」の海が広ければそれだけ深く「考える」こともできるわけで、人生の岐路に立たされた時も、より的確な選択肢を選ぶことができるかもしれません。

私たちはいろいろな文字を使って日本語を表現します。
「ひらがな」「カタカナ(あえてかたかなで表記しました)」「漢字」「ローマ字(アルファベット)」「アラビア数字」。
こんなにたくさんの文字で母国語を表記している国も珍しいでしょう。国語の授業で漢字のテストに悩まされた人も多いでしょう。
「なんで漢字なんか覚えなくっちゃいけないんだよう!ひらがなだけ知ってりゃあ大丈夫じゃん!」確かにその通りかもしれません。でもひらがなだけで書かれた文章は読みにくいですよね(韻文の修辞としてはありますが)。
それは「ひらがな」は「表音文字」といって発音した通りに書ける文字だからです。つまり音声記号として脳に入ってそこから意味を理解するという二段構造をとるのです。

これに対し「漢字」は「表意文字」です。「漢字」そのものに意味が与えられているのです。ダイレクトに意味に直結します。
実は嫌われている(特に子供たちに)「漢字」ですが、日本はこの「漢字」の恩恵に浴しているのです。文字を持たなかかった日本に「漢字」がもたらされ、それをくずして簡略化してできたのが「ひらがな」で「漢字」の一部(偏[へん]や冠[かんむり]など)が独立して「カタカナ」ができました。

教育ブログ 「よなはTのひとり言」④

さて目標の話。
こんな話を聞いたことがあります。「人は、なりたい自分になっている」と。
すぐに、反論が返ってきそうです。「何を言っているのだ。今の自分は自分らしくないぞ、ちっとも現状に満足なんてしていない。」

確かにそうですよね。私もそう思いました。でも話を聴いて納得しました。「ある行動をとる時、人は、無自覚にせよこれからしようとすることを選択している。右に行こうか、左に行こうか、常にそういう選択を強いられていて、その結果が今である。」いずれにしても選択をしているのは自分です。

自らの意志で決定しているのです。たとえば、明日成績にかかわる大事な試験があるとします。「さあ、やるぞ。」と意気込んだものの、ふと、テレビに目をやると大好きな『AKB』の特番をやっていて深夜まで見入ってしまいました。徹夜も考えましたが、「よし、4時に目覚ましをセットしてと…」鳴ったのでしょうが無意識に止めてしまいました。結果、遅刻は免れたけれども、試験はボロボロ。成績を上げられず行きたい学校に行けませんでした。そしてこう呟くのです。「あの時、やっておけば…」これを後悔と言います。結局『AKB』を見たのも自分、無意識にせよ『目覚まし』を止めてしまったのも自分なのです。

生徒たちにはよく「後悔はするなよ。反省はいいけれど。」と伝えています。人は『快』と『不快』では、水が低きに流れるが如く『快』を選択してしまいます。『本当になりたい自分』を明確に意識していないと、ついつい流されてしまうのです。ですから具体化された『明確な目標』を持つということが、『夢』実現のためには重要なのです。

教育ブログ ウソシリーズ「社会は暗記科目である」のウソ(地理編)②

『この場所へ絶対に行く』と誓った『上高地』にはようやっと高1の夏休みに行くことができました。
梓川の畔(ほとり)の小梨平のキャンプ場で3、4泊したでしょうか。おいしい空気と自然に親しむうちに、この川のもっと奥へ、上流へ、源流へ……。

この川(日本で1番長い信濃川367kmの源流の一つ:川の名は河口で海や湖に注ぐ時の名で、それまでには多くの支流〈名がそれぞれ違う〉がある。)の懐、『槍ヶ岳(地理編①で梓川の源流が穂高連峰のように書きましたが実は違うのです。確かに穂高の岳沢あたりから流れて来るように見えます。)』を翌夏目指すことになります。

こうして地図との本格的な付き合いが始まりました。
地図を読み違えると遭難の危険があります。アナログの腕時計(長針、短針があり文字盤が円形)と太陽の向きで※南の正確な方位を知る方法も身に付けました。山の天気にも詳しくなりました。天気図も自然と分かるようになりました。落雷の危険を察知する必要や天候の急変に備えるためです。

自然の中にあっては人間の生存のはかなさを痛感させられます。山にいると謙虚になることを学べます。生きるための知恵(活きた知識)が自然と身に付くのです。

目的地に行くのに鉄道を利用する場合、時刻表を使うと便利なのですが、色々な情報(駅弁とか)も満載で楽しいのです。
以前に『話を聞かない男、地図が読めない女』という本がベストセラーになったことがありました。脳科学の観点から男脳、女脳には違いがあり、それは歴史的に見て男性は狩りをするために空間把握能力が発達したのだとかなんとか(読んでいないので内容は想像ですが)?でも最近では『鉄子(鉄道マニアの女子)さん』も増えてきました。喜ばしい限りです。

だんだんと地図に親しくなってくると、その土地の地形が読み取れたり、そこから自然のようすが見えてきます。そこに暮らす人々の暮らしぶりも想像することができます。地図を見ているだけでその場所へ旅したくなるのです。芭蕉ではありませんが「漂泊の思ひやまず」です。

ここにみなさんに紹介したい文章があります。この文章を読むと地理が暗記でないことが理解していただけると思います。

中学受験用学習書四谷大塚「予習シリーズ4年上社会 第13回盆地のくらし~甲府盆地(山梨県)」から。

★『盆地でくだものづくりがさかんなわけは?
Q: 山梨県の甲府盆地などでは、ぶどうやももの栽培がさかんです。盆地でくだものづくりが行われているのは、なぜですか。
A: くだものは、日光に当たるほど甘みがまします。まわりを山に囲まれた盆地には、日当たりのよい山の斜面が多くあります。また、まわりの山が風を防ぐため、くだものの実が強い風で落とされることもありません。 雨が少なく水はけがよい土地では、くだものは水分をためこもうとするので、みずみずしい実ができます。昼と夜の気温の差が大きい盆地の気候は、くだものの色づきをよくするのに役立っています。
(写真:ももの収獲 ももの色づきをよくするために、日光を反射するシートがしかれています。)』★
いかがですか?『ぶどう、ももの出荷額日本一は?』→『山梨県』という暗記ではないのです。
いろいろな情報、データから論理的に物事を判断し、想像してみる、具体的なものに関連付けてみる力。
イメージできるかどうかがカギです。地理は決して暗記科目ではありません。

※南の正確な方位:実際は東経135度の経線上で正午南中なので、経度の差で若干南の方位はずれます。

 

教育ブログ 「よなはTのひとり言」③

 

2期制の学校では10月から後期が始まります。
後期に向けて、色々と目標を立てている人も多いと思います。

目標を達成するために、計画をし、実行し、その結果を検証する。
そうやって軌道修正が必要であれば、次の計画に反映させる。

「PLAN(プラン:計画)-DO(ドゥー:実行)-CHECK(チェック:検証、修正)
そんなことを何十年も前にマーケティングの授業で習った記憶があります。

計画は逆算して、準備は早いにこしたことはありません。
計画の中に、中期的目標、短期的目標を設定すると、軌道修正も容易ではないかと思います。
でも計画倒れにならないように、「実行」をがんばって行きましょう。

 

 

 

 

 

教育ブログ 「よなはTのひとり言」②

 

今回は「考える」をテーマにしたいと思います。『「考える」を考える』。のっけから禅問答のようになってしまいましたが、「考える」とはどういうことでしょう?

生きているといろいろな困難や問題に出くわします。その問題にどう対処していけばよいか。どう解決してゆけばよいか。
試験問題と違って、答えがあらかじめ用意されているわけではありません。自分自身の力でこの問題を乗り越えていく。そうした問題解決能力を身につける鍵が「自学力」を磨くということです。

ある人が言っていました。「考える」とは今まで獲得してきた知識なり経験なりを新しい問題に即してどう関連づけたり、結びつけたりして答えを導いていくことだと。
そうなってくると、考えるための前提となる知識が少なかったり、経験が乏しかったりした場合「考える」ことすらできないということになってしまいます。これは単に「困っている」という状態です。

ですから普段から「学び」、「考える」を習慣化しておく必要がある。
心のリュックサックに気になったことや関心のあることをどんどん放りこんでゆきましょう。時々それをそっと取り出しては眺めてみましょう。そうすることで脳内に「考える」という強固な回路ができあがってきます。

リュックがいっぱいになればなるほど、あなたの潜在能力は高まるでしょう。いざという時、潜在意識の扉が開かれあなたを助けてくれるでしょう。「考える」を習慣化することです。

 

 

 

 

 

ウソシリーズ 「社会は暗記科目である」のウソ(地理編)①

「社会は暗記科目である」のウソ(地理編)①

「マップ・ラバー」という言葉を知っていますか?直訳すれば「地図好き」とでもなるのでしょうか。対義語は「マップ・ヘイター(地図嫌い)」。

等高線(土地の同じ高さを線で結んだもの)が狭まって込み入っているのを見ているだけで異常に興奮してしまいます。高い所にエクスタシーを感じてしまうのです。私事で恐縮ですが…。
高い所と言えば「山」ですが、日本には富士山(3776m)を筆頭に3000m以上の山が26座あります(山は一座、二座と数えます)。『それを全部制覇してやろう』などと大それたことを高校時代に思ったのですが未だ達成できていません(三浦雄一郎さんは偉大だ)。
この3000m級の山は実は全て中部地方にあります。飛騨山脈(北アルプス)、木曽山脈(中央アルプス)、赤石山脈(南アルプス)。これらを総称して「日本アルプス」と言います。だから中部地方を「日本の屋根」と呼ぶのです。
26座中、火山が3座。富士山(3776m)、御嶽山(3067m)、乗鞍岳(3026m)。火山は独立峰であることが多いので前記の三つの山脈には属しません。
よく「木曽御嶽」などと言うので御嶽山は木曽山脈にあると考えがちですが間違いです。どちらかというと飛騨山脈。その南の端に乗鞍岳、さらに南下すると御嶽山があります。ですから3000m以上の山は火山を除けば北アルプスと南アルプスだけにしかありません。

地図帳を開いては山の標高ベストテンなどを調べていると自然と順位が頭の中にはいってしまいます。でも今の話には少しウソがあります。学校の教材で使う地図帳や市販の地図帳では縮尺が小さいので、詳細まではわかりません。そこで登山用の地図を買ったり、国土地理院発行の大縮尺の地図を用意して丹念に紙の上の山を登って行くのです。
なぜ高い所を目指したのでしょう。高山への登山は高校時代からでしたが、受験という重圧から逃げ出したかったのかもしれません。2500mを超えると「森林限界」といって植物の生育が極めて困難な環境になります。石と岩、雪と雲、純粋な鉱物の世界、峻厳な自然。人間世界のシガラミから脱出したかったんだと思います。まあ、逃げ切れないことは分かっていたんですがね…(「逃げ切れる人」を「天才」と呼ぶ。この話はまた別の機会に)。

『海を愛する人は詩人。山を愛する人は哲学者』どこかの本に書いてあった言葉です。哲学者?の私が山を愛した理由。それは小学校一年生だったか二年生だった時に使っていた国語のノートにあります。ノートの表紙の写真。雪を冠した雄大な連峰を背景に、そこを源流としているらしい清流が迸(ほとばし)り、その流れの上に吊り橋が架かっています。清冽の両岸には輝くばかりの新緑。写真の説明書きに『上高地』と記されていました。いっぺんに虜になってしまいました。穂高連峰、梓川、河童橋。『この場所へ絶対に行く』と心に刻みました。

 

教育ブログ よなはTのひとり言

教育ブログ よなはTのひとり言①

昔から考えている夢があって、ちょっとセンチメンタルで恥ずかしい夢なのですが…。

小学校の修学旅行が宇宙旅行なのです。宇宙船に乗って大気圏を飛び出し、はるか天空から地球を眺めます。

茫漠たる暗黒に青く輝く水の星を望むのです。きっと子供たちの心の中で、大いなる感動とともに何かが変わるでしょう。

5秒に一人アフリカの子どもが飢えや病気のために命を失っていることや、この美しい世界のどこかで争い殺しあっていることや、なによりも宇宙の宝石のようなこの星を穢してしまっていることを……

ことはそう単純ではないかもしれません。教育という下地、しっかりした準備がいるのです。時間をかけて、じっくりと。

『たとえ明日、世界が滅びるとしても、今日、 あなたはリンゴの木を植える。』

ウソシリーズ 「わかる」→「できる」のウソ②

「わかる」→「できる」のウソ②

さて、前回の続きです。
「わかる(理解)」→「できる」の流れが学習においてはウソであるというお話を前回させていただきました。「心のひきだし」が空っぽなのに何かを創り出す(創造)ことなど不可能だとも書きました。充分なインプットがされていないのに豊かなアウトプット「創造」などできるはずもありません。
『心の中のリュックサックにひとつひとつ、ていねいに、見聞きしたものを放り込んでいくのです。いずれそれが熟成して創造の種となるのです。』そんな趣旨のことを秋元康が言っていました。
情報をインプットする方法は多岐に亘りますが、その一番手といえばやはり「読書」でしょう。しばし読書について。
「読書」とは他人が書いた文章を理解することに他なりません。このあたりまえのことに実は落とし穴があります。国語の文章読解問題が苦手という人は特に注意して読んでください。
まず、「他人を理解すること」ましてや完全に理解することなど不可能でしょう。しかし文章読解問題ではその他人が書いた文章からその作者(他人)が言いたいこと、伝えたいことを汲み取らなくてはならないのです。畢竟、文章読解問題も読書には違いないのです。
さて「読書」をしていて難解な箇所に出くわすと、早急にこういうことだろうとすぐに結論を出したがります。よく考えもしないで、答えを急ぎます。他人の声(文章)に耳を貸そうともせず、すぐ納得したがります。
「毒蛇は急がない」どこかの国の諺だそうです。毒という絶対的な武器を持っている毒蛇は用意周到に獲物に近づき一発で仕留めるのです。決して急がない、確実に殺(や)るために。
現代人(私も含めて)は、結論を急ぎ過ぎます。急ぐことで理解の本質を見誤るのです。
「読書(他人が書いた文章)」をする時、未知なる知識、情報が語られているのに、自身の既知なる、経験や情報からそれを判断しようとしています。これが誤読を生むのです。試験では、もちろん×です。
答案の×を見たとき『そうかなぁー、こういう考えもありだと思うんだけどなぁー』という不満の声が聞こえてきそうです。いいですか!試験ではあなたの考えなどは訊いていないのです。作者の文章とがっぷり四つに取り組んで作者(他人:理解することが難しい)の意図、真意にしっかり対峙してください。我を入れず、純粋な、素直な気持ちでその文章に接してみてください。
生徒たちにはよくこう言います『素直な人、優しい人ほど国語がよくできるんだよ。』と。謙虚に人の話を聞ける人、相手の美点を見つけてあげようとする人、他人から何かを吸収しようとする人。そんな無私で寛容な心根の人が他人をよく理解できるのです。自己主張せず、批判的にならず・・・。
前回取り上げた「東大のディープな日本史2」相澤 理著(この先生、朝日新聞の歴史コラムを隔月で書くようになりました)で言っているように、東大の先生方が受験生に求めているのは、〈未知なる他者に対する誠実な接し方〉なのです。まさに「読書百篇、意おのずから通ず」です。
「葦編三絶」という故事もあります。出典は司馬遷の「史記孔子世家」。『孔子が晩年「易経(えききょう)」を好んで読み、綴じた革ひもが何度も切れた』(「大辞林」三省堂)というお話しです。
『「自学力」について』にも書かせていただきましたが、問題解決力を磨くためにも論理的思考力を身につけることが急務です。情報を正しく得る(読書、他人の話を聞く、インターネットを含む各種メディアからの情報e.t.c.)ことの根幹。正しく理解すること。この重要性に気付いてください。
「理解」についてを今回の締めくくりとさせてください。
「理解」の和語は「分かる」です。「分かる」の語源は「分ける」です。「一」が「刀」で分けられて「八」になった字が「分」ですよ。つまり物事を分類(「分ける」)すること、差別化することが理解の一助になります。「読書」とは究極「他者理解」なのですから、「自分」と「他人」の違い(考え方の)、差別化を徹底的に行わないと「分かった」ことにはならないのです。