漢字が輸入されるまで、日本には文字が存在しなかったのです。ですから卑弥呼の時代の歴史を古代中国の「『魏志』倭人伝」に頼る他ないのです。
漢字の伝来とともに当時の最先端の文化、文明も伝わってきました。
中華文明に追いつけ追い越せと日本人のエリートたちは、切磋琢磨して漢籍を学びました。
「律令」も漢文で書かれています。
為政者たる貴族は漢文(外国語)を理解していることは常識だったのです。
時代が変わっても学問と言えば漢籍を読むことでした。
18世紀後半に入り欧米の外国船が日本をしばしば訪れるようになってから、初めて西洋の文化、文明を意識するようになります。
「漢字」の恩恵と言いましたが、実は「西洋的近代化(西洋的近代化が素晴らしいと言っているわけではありませんよ。念のため。)」を日本はアジアでいち早く成し遂げました。このことと「漢字」が密接に関連しているという話を聞いたことがあります。
例えば「economy」という英語が入ってきたとします。「エコノミー」と発音することは分かっても、その意味するところは?
幕末の碩学(せきがく)たちは中国の古典の「経世済民(けいせいさいみん:世を治め、民の苦しみを救うこと。『大辞林』」から「経済(この訳語は本家の中国に逆輸入されて、定着しているようです)」という訳語を作りました。
「philosophy」は「哲学」と適切な訳語を生み出しました(「西周:明治時代の思想家、津和野藩医の子」あたりか?)。
つまり漢籍の素養があった日本人は新しい西洋の概念をみごとに熟語として日本語化しました。
どういうことかというと、新しい思想、技術を日本語で理解できたのです。
漢字を捨てハングルに固執した朝鮮半島では外国語を外国語として学ばざるを得なかったのです。
フィリピンでも英語を英語として学ばなければ西洋的近代文明を受容することができなかったのです。
一部のエリートたちからしか西洋文明が始まらない国と違って、日本では日本語で西洋文明を受け入れることができました。
こういう美点に見向きもせず、「グローバル化」という妖言(ようげん:人を迷わす、あやしい言葉『大辞林』)、譫妄(せんもう:軽度ないし中度の意識混濁『大辞林』)に踊らされて、どこかの役所?は大学での授業を「英語」でやりましょうと躍起になっています。これは戦後、日本語を「ローマ字」表記に改めましょうというのと同じくらいに馬鹿げたことだと思うのですがみなさんはどうお考えでしょうか?