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ウソシリーズ

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑩)

感情を扱う「文学的文章」の読解の方が、型がある「論説文」より難しいと前回書きましたが、好みから言えば、「文学的文章」に軍配が上がるのはなぜでしょう。
それは「論説文」に出てくる言葉(単語、用語)が難解だからです。
馴染みのうすい漢語に違和感を覚えてしまいます。
言葉の海を広げたいと普段から心掛けていれば、辞書もおっくうがらずにひくのでしょうが、なかなかそうもいかない。
結局、「読解力の肝は、語彙力にあり」と言えそうです。
人は、言葉で考えています。
言葉の世界を広げ、深めることが世界をよりよく理解するための最善の、しかも唯一の方法なのかもしれません。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑨)

そこで反対の概念である「戦争」を対比させることによって、より一層「平和」を具体的に意識させるのです。
「戦争」は「平和」の対義語です。
「平和:A」→「戦争:B」。さらに、「戦争」の類義語(仲間の言葉)、「危機:B’」「不安:B”」等を想起させるトピックを記述して論を展開していきます。
対比することで、「平和」の実体が鮮明になります。
そして、結論段落で再度「平和」の大切さ、重要性を強調して論を終えます。

論説文の構造(型)を身につけてしまえば、論説文の読解が容易になります。
国語の試験問題で「文学的文章(物語、小説等)」と「論説文(説明文等含む)」、どちらが好きかと生徒に聞くと、大方は「文学的文章」と答えます。
しかし、実際は、論説文の型を知ってしまうと、「論説文」の方が多く得点できるのです。
人の心、感情、心理等、複雑に絡み合ったものを対象にする「文学的文章」の方がはるかに難しいのです。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑧)

「平和」について書くと序論で提示した後、本論でその内容に入ります。
「平和」ということばは、抽象的な語なので、どういうことが「平和」なのか具体的にイメージしてもらえるように論を展開させます。
ふだん意識せずに過ごす日常が、どんなに幸せなのか。
公園で子供とサッカーをしている父親。何気ない風景に見えるかもしれません。
しかし、公園上空をミサイルが飛び交っていたら、とてもサッカーどころではありません。
「安全」であることの大切さを感じます。
一家「団欒」の休日の夕食。いつ、爆弾が降ってくるかわからない状況下でのんびり食事は楽しめません。
このように「平和」から連想されることばを無意識に探ります。
「安全」「安心」「団欒」「満足」等々。
つまり、「平和」の「類義語(そのカテゴリーにある語まで含めて)」に関連させて話が進行していきます。
「平和:A」「安全:A’」「安心:A”」という具合です。
「平和」の類義語(厳密には仲間の言葉)、「安心」や「安全」「団欒」だけでは「平和」そのものがボケてきてしまいます。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑦)

類義語、対義語と並んで接続語の働きにも注意してください。
「朝早く起きました。しかし、散歩をしました。」大いに違和感ありですね。
「朝早く起きました。それで、散歩に出かけました。」
接続語「しかし」は逆説の接続詞です。
前文と反対の事象が続きます。
逆に考えると、「しかし」の登場が反対事象の出現を予想させるのです。
接続語(接続助詞等も含む)は文章の論理展開をたどる道標(みちしるべ)です。
この標識を見落とさないようにしましょう。
論説文の構成は次の3タイプに分類されます。
オーソドックスなタイプが尾括型。序論(主題提示)→本論(内容)→結論(まとめ)。最後、尾っぽで括(くく)るから尾括型です。
最初に結論がくるのは頭括型、結論が最初と最後に二つあるのを双括型と言います。
では、尾括型をモデルにして論説文を見ていきましょう。
「平和」について書かれた文があるとしましょう。
序論で「平和」について述べる旨を告げて(表題を提示して)、文がスタートします。
この時、疑問形で読者に問いかけをしたり、キャッチ―なつかみを考えたり、読者に関心を持ってもらうような工夫を凝らします。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑥)

ここで、「類義語」「対義語」の話を少し。
「短所」の対義語はなんでしょう?そう「長所」です。
関係性を明確にするために「短所」⇔「長所」と書いてみましょう。
それでは、「短所」の類義語は?分かりますね、「欠点」です。これも同様に「短所」=「欠点」。それでは、「欠点」の類義語はなんでしょう?「美点」という語があります。
この四語を四角く並べてみてください(⇔、=を使って熟語は縦書きに)。
右上に「短所」、その下に「長所」「短所」の左隣りに「欠点」その下に「美点」ことばの四角形ができあがりました。
これを眺めてみると、おもしろいことに気づきませんか?「短所」の左斜め下にある「美点」。「欠点」の右斜め下にある「長所」ともに対義語ではありませんが、意味が反対のことばになっています。
対義語、類義語の四角形の関係は重要です。
特に論説文を読解する際に!福嶋さんのことば『すべての文章は、「言いかえ」の連続で作られている』のならば、語彙がどう変奏されて流れていくのかをたどれれば文章理解は容易になります。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編⑤)

「正しい文章読解のための三つの力」の二つ目が「くらべる力」。
事物を対比、比較することで違い=差異が明確になります。
そして三つ目の力が「たどる力」。
「たどる力」とは「因果関係(原因と結果の関係)力」だと福嶋さんは言います。
結論により高い客観性があることが因果関係を担保している要件だと。
高い客観性とはこういうことです。
原因:「宿題をわすれた」→結果:「しかられた」
この→を「だから」で置き換えてみてください。「宿題をわすれた。だから、しかられた。」
論理展開に納得がいきますね。
これが担保されているということは、この逆がまた論理的に整合性があるということです。
結果:「しかられた」→原因:「宿題を忘れた」。
この→に「なぜなら」を挿入。「しかられた。なぜなら、宿題を忘れたからだ。」
因果関係の逆をたどって、おかしくなければ、論理的な破綻(はたん)はないということです。文章を読解するのに、この「三つの力」を備えていれば、後は、語彙(vocabulary)力をつけるだけでOKです。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編④)

福嶋はまた「抽象」と「具体」は「相対的」なものだとも言っています。
「ライオン・とら・おおかみ」つまり「肉食動物」つまり「動物」つまり「生き物」。
「肉食動物」は「ライオン」にくらべれば抽象的ですが、「動物」にくらべれば「具体的」です。「相対的」とはこういうことです。
このことは「ライオン・とら・おおかみ」<「肉食動物」<「動物」<「生き物」と表すこともできます。
数学の集合の考え方です。
「生き物」の部分集合が「動物」、その部分集合が「肉食動物」…。
「ライオン」を中心に置くと、その外側の円が「肉食動物」その外が「動物」という同心円の世界が広がります。
中心へ向かう矢印が「具体化」、中心から遠心へ向かう矢印が「抽象化」です。
福嶋は「マトリョーシカ(ロシアの人形で、人形の中に人形が、またその中に人形が…)方式」と名付けました。
「抽象化」の道筋をたどるときに、迷う場合は接続詞「つまり」ではなく「という」でつなげてみるのもよいでしょう。
「北海道・東京都・鹿児島県」つまり「日本」。なにかしっくりしません。
そこで、「北海道・東京都・鹿児島県」という「日本の地名」。
しっくりと落ちつきました。
抽象化は要点をまとめるときに非常に役に立ちます。
「具体化」はものごとを細分化(分ける=分類)するとき有効な方法です。
「分ける」は「分かる」と同じ意味をもちます。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ(国語編③)

「まとめる力」は「抽象化」、「分ける力」は「具体化」と同義です。「抽象化」や「具体化」するカギとなるのが「つまり」と「たとえば」という接続詞です。
例をあげます。「抽象化」:「みかん・ぶどう・バナナ」つまり「果物」。「具体化」:「果物」たとえば「みかん・ぶどう・バナナ」という具合です。
「抽象」と「具体」は相互往復の関係でできています。
だいたいの文章は「抽象」と「具体」の間を往復、漂いながら書かれています。
つまり、『すべての文章は、「言いかえ」の連続で作られているのです』。
「抽象化」は連綿と続きます。
「みかん・ぶどう・バナナ」つまり「果物」、「果物」つまり「植物」、「植物」つまり「生物」、「生物」つまり……。
「抽象化」は際限がありません。
究極的には「世界」とか「宇宙」に行きついてしまいます。
われわれが、この「世界」で生きているかぎり、この「世界」のことを知りたいと希求するのは当然ですし、この「世界」を記述しつくしたいという欲望は無限に増殖し続けるでしょう。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする」のウソ!(国語編②)

「国語力=論理的思考力」を身につけるためにとても役に立つ本があります。
『「本当の国語力」が驚くほど伸びる本』国語塾を主宰している福嶋隆史さんの本です。
この本には「3つの力」が備われば国語力が飛躍的にアップすると書かれています。
「言いかえる力」「くらべる力」「たどる力」。
まず、「言いかえる力」から。この力は3つの力のなかでも中心的な役割を果たします。
「言いかえる力」は抽象化力と具体化力の2つからできています。
キーワードは「つまり」と「たとえば」。
福嶋隆史は『論理的思考力とは、決して「難しく考えること」ではない』と言い切ります。
『難しいことがらを「単純化すること」だ』と。
「バラバラの考えや言葉を整理するための力」が「論理的思考力」だとすれば、なぜ整理が必要なのか。
それは、だれかに伝えるためです。
だれかが自分であることも含めて、情報に対して人は納得を要求します。
その伝達方法は次の3つに集約されます。
①まとめて伝える/分けて伝える②くらべながら伝える③順序よく伝える。
この①が「言いかえる力」になります。
国語の入試問題にも「作者の考えを述べよ」→「まとめる力」や「具体的に述べよ」→「分ける力」を問う設問をよく目にします。
ズバリ「言いかえる力」を試しています。

ウソシリーズ 「本をたくさん読めば国語力がアップする!」のウソ(国語編①)

今回からは文章読解について。
広い意味で読書も文章を読解することにほかなりません。
他者を理解することが至難であるならば、その他者が書いた文章を正しく理解することもまた至難といっていいでしょう。
しかしながら、忙しい現代社会にあっては、膨大な情報の海から大量の文章を読み、理解することを強いられます。
普段から活字に慣れ親しんだ人は別として、そういう習慣がない人にとっては、そのことは相当のストレスになります。
本来、読書(文章から何か情報を得ることも含む)は新しい「知」に出会う行為ですから、新鮮なわくわく感をともなうはずです。
それが苦痛な行為となることは不幸であると言わざるをえません。
時間に余裕がないことに加え、すぐに答えにたどり着こうと焦るあまり、読んだ内容に耳を傾けもせず、自分の持っていた先入観でその中身を判断してしまう。
正しい理解(読解)をすることなしに、時間だけが駆け抜けていく。
本当の国語力は正しい読解力と同義です。